宮本ツイッタラー武蔵の雑記帳

Twitterで宮本武蔵をやっております。宮本武蔵です。Twitterではできない話&歴史と関係ない話をコソコソしようと思っていますが、所詮Twitterの延長線なのでよろしくお願いします。

Twitter武将紹介 その②

前回の更新から1ヶ月以上経ちました……

前置きが長いのもアレなので、武将紹介やっていきましょう。

今回も勝手に紹介しますので悪しからず

 

今日紹介するのはこちらの方

真田昌幸」さん

 

 

 

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武将としての情報はこちら↓↓↓

 

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。

 
凡例
真田昌幸
真田昌幸像[注釈 1](信濃真田家13代当主・幸正所蔵)
時代
戦国時代 - 江戸時代初期
生誕
天文16年(1547年)
死没
慶長16年6月4日(1611年7月13日)
改名
源五郎(幼名)→武藤喜兵衛真田昌幸
別名
通称:喜兵衛
戒名
長谷寺殿一翁千雪大居士
一翁閑雪大居士
墓所
真田山長国寺(長野県長野市
真田山長谷寺(長野県上田市
善名称院和歌山県九度山町
官位
従五位下安房
主君
武田信玄→勝頼→織田信長北条氏直→(徳川家康)→上杉景勝豊臣秀吉→秀頼
氏族
真田氏(自称滋野氏)→源姓武藤氏→真田氏
父母
父:真田幸隆、母:河原隆正の妹・恭雲院[1]
養父:武藤三郎左衛門尉
兄弟
信綱、昌輝、昌幸、信尹(加津野昌春)、金井高勝、清鏡?

正室山手殿(寒松院殿)[注釈 2]

信之、信繁(幸村)、信勝、昌親、村松殿小山田茂誠室)、娘(真田幸政室)、娘(鎌原重春室)、娘(保科正光室)、趙州院(宇多頼次室のち滝川一積室)、清光院(妻木頼熊室)、於楽
甲斐国武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。

軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁真田幸村)ほかがいる。
 

 

(Wikipedia引用)

 

 

大河ドラマ真田丸で一躍有名になった真田幸村様のお父様ですね

 

2016年5月からアカウント設立されました。真田丸と共にTwitter上に登場し、真田昌幸本人目線で大河ドラマをリアルタイムで実況ツイートし、タイムラインを大いに盛り上げてくれました。

(2020年大河ドラマ麒麟が来る」でも実況ツイ楽しみにしています)

 

 

それでは真田昌幸さんの事を項目にわけて紹介します。

 

 

1,どうでもいいけど話しておきたい安房守っちゅー名前

 

私は真田昌幸さんの事を官位の「安房守」から「あわちゃん」というニックネームで呼んでいます。(他の方の影響です。パクリです。)

武将の方を名前で呼ぶ時は「信長さん!」とか本名を呼ぶのはちょっと良くないです。時代が時代なら首チョンパ

 

なので、真田昌幸を呼ぶ時は安房守様とか言っておきましょう。これで一応大丈夫。一応怒られない。一応

 

でも「あわのかみ」ってiPhoneで打っても出ないんだよね……

こういう時、武蔵守ならば「むさしもり」って打つと出るのですが、「あわのもり」と打っても出ない……非常に面倒臭い

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武蔵はいつも

 

安房郡 (あわぐん)

守る(まもる)

 

って打ってます。はい、余計な話終わり

 

 

 

 

2,実況

 

真田昌幸さんのツイートで面白いものの1つが先程も言った実況ツイートです。

大河ドラマ金曜ロードショー、歴史を取りあげた番組等をリアルタイムで実況されてます

 

https://twitter.com/awamasayuki/status/1135175150154813440?s=21

 

https://twitter.com/awamasayuki/status/1109405846683869184?s=21

 

テレビのお供に真田昌幸さんのツイートを見れば更に番組が楽しめます。

 

 

 

3,時事ネタ

 

あわちゃんの時事ネタは面白い。これは夏に食べるアイスは美味しいと同じ意味のことわざです。

 

https://twitter.com/awamasayuki/status/1138412962547245056?s=21

 

https://twitter.com/awamasayuki/status/1069145453789212672?s=21

 

 

Twitterで流行ったネタ、最近のニュースをだしにして、コラ画像やワードセンスを味噌にして作られたあわちゃんのツイート味噌汁は海原雄山も笑みが溢れるでしょう。

 

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(上記の通り武蔵のワードセンス、言葉選びには海原雄山ブチキレ必至。磨こう語彙力)

 

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4,コラ画像

あわちゃんのコラは天下一

これは言葉はいらないので助かります。

あわちゃんのコラはいい

凄い

やばい

 

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見ればわかる

凄い

海原雄山もこの通り

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まとめ

以上あわちゃんについて書きました。

説明するより見た方が早いのでフォローしてみるべし!

 

アカウントはこちら↓↓↓

@awamasayuki 

 

このブログ必要か……??

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ちなみにあわちゃんのフォロワー数が1万に達したら武蔵の媚び売りが始まります。

ついで冷やし中華始めます。

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……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………無理やり繋げすぎだなこれ

無理があるなこれ

うん……

うん……

なんか恥ずかしくなってきたし終わろう……

 

これで海原雄山についての紹介を終わります。

 

次回のブログの更新は……来月中!!

巌流島の戦い

慶長17年(1612年)4月13日に関門海峡に浮かぶ無人島、船島にて宮本武蔵佐々木小次郎が決闘をしました。この決闘は後に巌流島の戦いと呼ばれるようになり、日本一有名な戦いとして後世に伝わっています。剣豪宮本武蔵の名を聞くとこの戦いの事を思い浮かべる方も多いでしょう。

 

そんな巌流島の戦いですが、資料によって内容が異なり謎が多くあります。

今回は巌流島の戦いを資料別で書かれた時系列事に紹介します。

 

 

①小倉碑文(こくらひぶん)

宮本武蔵の養子である宮本伊織が慶応3年(1654年)に豊前国小倉藩手向山山頂(現在の福岡県と大分県)に建立した、自然石に刻まれた顕彰碑石(個人の功績を称え広めるために石に色々書いたもの)です。

 

武蔵の吉岡一門との戦いやら巌流島の戦いやら「武蔵やべー!」ってなる伝記が書かれてるヤツです。

 

それによると

 

1,宮本武蔵は1人で来た

2,敵の名は巌流

3,巌流は兵法の達人

4,同時刻に巌流島に到着

 

と書かれています。

 

 

 

②沼田家記

細川家家老だった沼田延元が寛文12年(1672年)に書いた、沼田家の後世に自分達の凄さを伝える武勇伝集です。武家にはよくあるアレです。

自分達の子孫に自分達の凄さ話を書くわけなので、嘘をつく必要が無い。ここに出てくる第三者の話は信ぴょう性が高い、ということになります。

 

「なんで沼田家の自慢話に武蔵の話が出てくるの?」という疑問が出ると思います。

これは

「超有名で最強無敵な兵法者、宮本武蔵が倒した、佐々木小次郎の弟子に報復されるのを恐れて、沼田家を頼った」

「沼田家は武蔵の親の新免無二の元に武蔵を無事に届けた」

という自分達はすげぇぞって話です。

 

そろそろ本題。この沼田家記によると巌流島の戦い

 

1,宮本武蔵は弟子達を隠れさせていた

2,敵の名は小次郎

3,小次郎は豊前の兵法指南役

4,武蔵が倒された小次郎が息を吹き返した所、弟子達がトドメをさした。

 

武蔵が卑怯者だ!って言われるのは大体沼田家記のせいです。うんこ

 

 

 

③江海風帆草

勝野清中,宮本重利,吉田重昌らが書いたらしい知らん。宝永元年(1704年)に書かれたらしい知らん。

筑前の海事文書。多分見物人とかの証言とかそんな感じ知らん。これに関してはあんまり詳しくない知らん。

 

1,宮本武蔵は18歳

2,敵の名は上田宗入

3,武蔵の父無二と関係ある

 

こんな感じらしい知らん。Wikipediaには長門の兵法師範とか書かれてた知らん。

 

 

 

④本朝武芸小伝

正徳4年(1713年)に書かれた最古の日本武芸列伝。著者は天道流の達人日夏弥助繁高

武術の開祖とかについて色々書かれてる。

この本の上泉秀綱の話は映画「七人の侍」の種本だって脚本家の方が著書で言ってた。

面白い話が多いのでぜひ読んで欲しい

 

この本の中で巌流島の戦い

 

1,武蔵は1人で来た。武蔵は仲間を連れてきたと両論書かれている

2,敵の名は巖流

 

話の内容は

 

船の運転手「兄さん!知ってるかい?今日は宮本武蔵と巖流ってやつが決闘するらしいんだ。兄さんは見物かい?」

 

巖流「俺がその巖流だよ」

 

船の運転手「マジか!だったら逃げた方がいい!武蔵は沢山の弟子を連れて待ち構えてる!こんな戦いで死ぬことは無い……」

 

巖流「貴方が言うことは最もだ。だがな例え死ぬことが決まっていようと約束を破る奴は侍じゃないんだよ。死んだとしても必ず武蔵に一矢報いてやるよ」

 

船の運転手「(感動)」

 

適当に訳すとこんな感じ。他にも面白い話沢山あるから興味があったら読んでみるといいよ(2回目)

 

 

 

 

⑤兵法大祖武州玄信公伝来

享保12年(1727年)

筑前福岡藩黒田家の家臣で筑前天流五代師範で茶人でもある立花峯均が書いた。

武蔵の弟子の弟子の……って感じの人

 

武蔵の話ってよりは立花峯均の自伝って感じだが、一応武蔵の逸話集

この立花峯均のお兄ちゃんが千利休の事を書いた本があるのですが、ゴホンゴホンな内容だった。編集に立花峯均が関わっていたので、この武蔵の話も信ぴょう性は……うん

 

1,宮本武蔵19歳

2,敵の名は津田小次郎

3,小次郎は無二がビビる程の長門の兵法師範

 

ちなみに立花峯均は丹治って呼ばれる時もあるよ

 

 

 

⑥武公伝

肥後細川藩の筆頭家老松井家の二天一流兵法師範の豊田正脩が宝暦5年(1755年)書いた。

武蔵の弟子になったり、武蔵から書状や工芸品など色々貰ったりしている。武蔵と関わりが深い

武蔵の弟子達の話や、実際に武蔵が訪れた地を回って書いたとされる。武蔵のこと大好きかよ……

しかし残念ながら決闘については信ぴょう性が低い……。

武蔵の有名な「小次郎敗れたり!」「勝つ気があるのなら鞘を捨てないだろ!」と言った台詞はここから来ていたりする。すげー

 

巌流島の戦いの内容については

 

1,宮本武蔵29歳

2,敵の名は巖流小次郎

3,小次郎は富田勢源の弟子

4,細川忠興が雇った豊前の兵法師範

 

吉川先生の宮本武蔵とかバガボンドとか多分この話が元なんじゃない?知らんけど

 

 

 

 

⑦二天記

 

安永5年(1776年)に豊田景英が書いた。

⑥の武公伝を読みやすく頑張ったモノ。

槍使いの奥蔵院や鎖鎌の宍戸との決闘とか書き加えた。

読み物としてめちゃめちゃ面白い。

信ぴょう性はそんなにないが、全部嘘って訳じゃない。史料にはすべきではないけど……

 

巌流島の戦いはこんな感じ

 

1,宮本武蔵29歳

2,佐々木小次郎18歳

3,富田勢源の弟子

4,細川忠興が登用した豊前の兵法師範

 

武公伝とあんまり変わらないね

 

 

 

 

 

⑧兵法先師伝記

 

二天一流第7代師範の丹羽信英が天明2年(1782年)に書いた。越後国(新潟県)に二天一流を伝えたり、諸国を回って二天一流を広めた。

筆者の推し マジ推し

「武蔵の百年忌法要」の様子が書かれている超貴重伝記。

殆ど丹羽信英の目撃体験談日記。丹羽さんの興奮と感激がめちゃめちゃ伝わってくる伝記。

思わず推したくなるくらいにてぇてぇ

 

 

この中の巌流島の戦い

 

1,宮本武蔵18歳

2,敵の名は津田小次郎

3,無二と何度も戦った豊前の兵法者

4,無二とは決着が付かず

 

父親の因縁の相手とされていて、父親並みの強者を倒したってことでドラマチック。一番好き。最推し てぇてぇ

 

 

⑨西遊雑記

九州地方の見聞記

天明3年(1783年)に書かれた。当時の九州地方の経済状況が分かる良い史料。地理学者の川古松軒が書かれた。

 

昔巌龍島は船島と呼ばれてたよ〜とか

佐々木小次郎は武蔵が沢山の弟子を連れて来たのを知っててやってきたよ〜とか

佐々木小次郎の勇姿に感動した地元民が佐々木小次郎の墓を築いた〜とか

小次郎がかっこよく書かれている。

はいはいどうせ武蔵は卑怯者ですよ

 

そんな巌流島の内容がこちら

 

1,宮本武蔵は門下4人を連れてきた

2,敵の名は佐々木巌龍

3,伊崎から渡島した武芸者

 

 

 

……なんだよ。なんか文句あるかよ

 

 

 

 

 

以上!様々な史料で見る巌流島の戦いでした。

それぞれ色んな違いがあって面白いと思います。

 

 

武蔵は集団リンチをした卑怯者なのか、それも兵法の内だと言うのか、それともそんなことしていないのか……

真相は謎の中……

 

 

まぁ……

 

小次郎に勝った事実は変わらないからね!!!!!

 

 

 

PS

今日5月13日は巌流島の戦いがあった日です。(新暦)

小次郎の命日でもあるので巌流島に黙祷でもしてやって下さい。

 

 

 

Twitter武将アカウント 紹介①

Twitterには現在、歴史上の人物のなりきりアカウントが沢山います。なりきりアカウントの中で最も多いのは戦国武将。

戦国武将のなりきりアカウントを略して「武将垢」と呼ばれています。(呼ばれていない)

 

そんな武将垢界隈がもっと盛り上がって欲しい!

ということで勝手に無許可で紹介させていただこうとブログを書かせていただきます。

広い心で許して頂くと幸いです。

※「勝手に載せんな!」とクレームが来たら菓子折を持って謝りに行きます。

 

では早速、記念すべき1人目の武将垢を紹介させていただきます。

こちら

 

仙石権兵衛秀久」さん

 

 

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戦国武将としての情報はこちら↓↓↓

仙石 秀久(せんごく ひでひさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。

 
凡例
仙石秀久
仙石家旧蔵資料「仙石秀久
時代
戦国時代 - 江戸時代初期
生誕
天文21年1月26日(1552年2月20日
死没
慶長19年5月6日(1614年6月13日)
改名
秀康、盛長
別名
千石権兵衛[1]
戒名
円覚院殿宝誉道樹大禅定門
墓所
長野県上田市常磐城の芳泉寺
長野県佐久市岩村田西念寺
官位
従五位下、越前守
主君
斎藤龍興織田信長豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠

信濃小諸藩
氏族
仙石氏→萩原氏→仙石氏
父母
父:仙石久盛、養父:萩原国満
兄弟
久勝、秀利、秀久

正室:本陽院(野々村幸成の娘)
側室:慶宗院(竹村新兵衛の娘)

久忠、秀範、忠政、政能、政直、久隆、娘(古田重広[注釈 1]室)、娘(大久保某室)、娘(藤堂高清室)、娘(森某室)
豊臣秀吉の最古参の家臣で少年の頃より仕え[3]、家臣団では最も早く大名に出世した。戸次川の戦いで大敗し改易されるが、小田原征伐の活躍により許された。

(Wikipedia引用)

 

 

 

現在(2019年3月30日筆)フォロワー数2100人以上、Twitter歴4年の古参武将垢です。

 

漫画センゴクシリーズの主人公でお馴染みの武将。本人は「マイナー武将だ〜」「知名度がない〜」と知名度が低いネタをしていますが、武将好きや歴史好きの中では超有名人なのではないでしょうか?知らんけど

 

そんな権兵衛さんの魅力はなんと言っても豊富な知識……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と面白いトーク

 

 

 

 

 

です。

 

 

例えばこちら

武将垢の真田昌幸さんが武田氏の滅亡をリアルタイムで実況ツイート(物騒)をした時の引用リツイート

 

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不意打ちでケラケラ笑って電車で変な目で見られました。慰謝料下さい

 

このツイートの後に、ちゃんと武田をフォローする一文も……

(あわちゃん=安房上=真田昌幸)

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これには戦闘民族武田クラスタもにっこり

配慮のあるネタすこ

 

 

武将垢の中でもゴンベさんは相当歴史に詳しいので話を見ててとても面白いです。

気になることや分からないことを武蔵もよく聞いたりしています……(迷惑かけてゴメンよ)

困った時のゴンベちゃん。武将垢の君も普通の垢の君もゴンベちゃんに質問してみよう。

暇だったら返してくれる

最近は忙しそう↓

 

 

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なんでフォローしたか?

「お前が面白いからだよ!!」

 

 

まぁ上記の通り最近はゴンベさんも忙しいので(2回目)低浮上でなかなかTwitter界に現れませんが、たまに現れては笑いをさらっていきます。

あの野郎

 

 

とにかくゴンベちゃんが気になったそこの貴方!!是非是非フォローをして下さい!

アカウントはこちら↓↓↓

 

@suzunone_1590 

 

紹介はここまで!

次回紹介する武将垢は貴方かもしれない!

稚拙な文にお付き合い頂き感謝〜

 

 

 

 

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こっからは武蔵のなんの関係もない余談

【漫画センゴク権兵衛のネタバレ注意】

 

 

仙石権兵衛の人生の中で一番のポイントといっても過言ではない戸次川の戦い

長宗我部家の魅力も存分に出し、化け物のような強さの島津家。とっても面白かったのですが、結局「島津家が強すぎたから仙石達は負けてしまった」なのかとちょっぴりガッカリ

あくまで漫画の主人公である仙石権兵衛、なので敗戦もカッコよくないといけないのは分かるのですが、もうちょっと……こう……

司馬遼太郎先生の長宗我部元親公が主人公の「夏草の賊」という小説で仙石権兵衛はだいぶクソ野郎に書かれていたので、漫画センゴクだと「明るくて戦の嗅覚が凄くて閃きが神がかってる」権兵衛が戸次川でどんな敗け方をするのかな〜と……戦国武将ならではの卑劣さや非道な面がでるのかな〜と……

思ったん……だけどね……

 

センゴクの権兵衛は権兵衛でした。

 

島津超かっこよかったから好きだけどね!!!!

面白かったけどね!!!!!