宮本ツイッタラー武蔵の雑記帳

Twitterで宮本武蔵をやっております。宮本武蔵です。Twitterではできない話&歴史と関係ない話をコソコソしようと思っていますが、所詮Twitterの延長線なのでよろしくお願いします。

愛すべきマイナー武将(スペシャルゲスト:糟屋武則様)

さぁ!久しぶりの対談!

いや〜毎度毎度の事ですが緊張しますね〜

今回は賤ヶ岳7本槍の1人

糟屋武則様です!

 

……え?何方?と思う方も多いと思います。(失礼)

糟屋様は賤ヶ岳7本槍の中で唯一石田三成公に同情し、家臣の反対を押し切って三成公に味方したり

羽柴秀吉公の播磨攻めではお兄様が別所家に付いたので、家族の縁を切って秀吉公の家臣となったりと、波乱万丈の人生を送られた御方ですのでエピソードには事欠きません。

 

 

ちなみに関ヶ原は武蔵と同じ宇喜多秀家様の軍にいらっしゃいました!

身分の差がめちゃめちゃあって、相手になんてされてなかったけどね!

 

さて!長々と語ってしまいましたが糟屋様を待たせていますので早速お呼びします!

 

 

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糟屋武則

永禄5年(1562)生まれ

播磨の別所氏の家臣であったが、後に羽柴秀吉の小姓となる。

その後山崎の戦い賤ヶ岳の戦いなど数々の戦いに参加し、賤ヶ岳の戦いではその活躍により賤ヶ岳7本槍に数えられ、3000石余を拝借した。

晩年付いては色々な説がある。

 

宮本武蔵(以下武蔵)

「それでは今回のゲスト、糟屋武則様です!軽い自己紹介をばお願い致しまする!」

 

糟屋武則(以下糟屋)

「はい、大半の人は初めまして、1部の奇特な人はお久しぶり。
賤ヶ岳アイドルかすくんこと糟屋武則でござる!
今日はよろしくお願いいたす!」

 

武蔵「こちらこそよろしくお願い致しまする〜」

武蔵「そういえば糟屋様とは関ヶ原で一緒でしたな」

 

糟屋「でござったな!」
糟屋「某は宇喜多隊、武蔵殿は黒田隊?だったゆえ直接はまみえませなんだが懐かしき思い出にござる……」

 

武蔵「むむむ!最近の研究では武蔵も宇喜多隊にいたという説が主流なのですぞ!」

武蔵「……まぁ某は足軽風情でしたので同じ軍でも印象になかったのかと……」

 

糟屋「な、なんと!!」
糟屋「そうだったのでござるか失礼つかまつった……
とはいえあくまでも某は与力大名であったゆえ直接の関わりは難しかったのでござろうな……
今思えばなんと勿体ない……」

 

武蔵「いえいえ〜 雑兵である某が西軍にいたという資料があるだけでも奇跡なのですら……」

武蔵「糟屋様は播磨出身でしたかな?」

 

糟屋「ええ、播磨は加古川の出身でござる。

実は死没まで出身地を治めた数少ない将なのでござるが如何せん知名度が無さすぎて……
某の先代で義兄の朝正が治めている間は別所家の与力、某からは羽柴家の小姓組として活動させていただいておりました」

 

武蔵「なるほど……某も播磨出身でして……意外と接点がありまするな〜
では、羽柴家へ行った経緯など教えていただけますか?」

 

糟屋これは同郷仲間として誇り高いですな!!」

「長いので所々端折りますが……」

中国攻めを進める織田軍に協力していた別所家は突如離反、織田軍は窮地に陥ります。
その後、別所討伐のため羽柴秀吉(敬称略)は三木城を囲みますが内側からの突き崩しのため調略をしかけます」
「その頃羽柴軍で軍師を務めていた小寺(黒田)官兵衛殿は旧知であった某の義兄で勇将として名を馳せていた朝正に寝返りを持ちかけました」

 

糟屋「この時、恩を受けた別所を裏切る訳には行かないと断った朝正でしたがお家存続のため、まだ出仕していなかった某を羽柴軍へ送ったため、某は羽柴軍へ参じる事となったのです」

糟屋「まぁ、要するに関ヶ原における真田家の様な動きにござるな!」

 

武蔵「なるほど……政略として織田に送られた訳ですな!この決断が後に賤ヶ岳7本槍として名を上げる武則様に繋がるわけですか……」

 

武蔵「余談ですが秀吉公は播磨の支配に3年もかかったとか……天才黒田公と組んでもなお、それ程の時がかかるとは播磨……恐るべし(出身地贔屓)」

武蔵「さてさて、賤ヶ岳7本槍のイメージから武闘派として見られそうですが、武蔵は糟屋様は代官として才を発揮なされたなという印象です。」

武蔵「ちょっと武勇伝とかお聞きしても……?」

 

糟屋

「なるほど武勇伝でござるな」

「まずは賤ヶ岳においては
秀吉殿下が褒めちぎった櫻井佐吉殿ですら苦戦した柴田麾下猛将宿屋七左衛門を一突きで討ち取っております!」
「更には福島正則のもたらした1番首拝郷家嘉殿に一番槍を着けたのは某!」

「それ以降は主に代官職を務めることが多かったのですが、
朝鮮の役においても1次晋州城攻防戦において、多数の首級をあげております!」

 

糟屋「余談でござるが、大坂夏の陣でも某が徳川方にて一隊を率いて大阪城にて奮戦したとの記録も…」

「まぁ、その話では最後に討死しておりますが!!!わはははは!!!」

 

武蔵「なるほど……惚れ惚れする武勇伝!流石羽柴家随一の武人ですな!」

「では、内政や外交で何かエピソードはございますか?」

 

糟屋「内政、外交においては堅実に職を務め過ぎたのか特に褒められる事績も、逆にやらかした事績も記録にほぼ無く……
ただ、伏見城名護屋城の普請には加わっておりましたので何もしてないわけではないので責めないで…(涙」

 

糟屋「内政とは変わりますが、

豊臣秀次殿下が追放される際に、我が屋敷において保護をしておりました。
その間、石田三成殿にせめて女子供は助けてくれと熱心に乞うていたと言われております。

逆に全力で処刑に賛成していたとも言われてます」

「記憶が曖昧って怖いですな(他人事)」

 

武蔵「あ〜武蔵も竹村だったのか新免だったのか名前も思い出せない始末……怖いですな〜」

「では、曖昧な記憶()の中で自分の人生で最も辛かったことと、良かったことをばお願いします」

 

糟屋「まずは辛かったこと。
やはりこれは義兄との別れでござるな」
「散々義兄と言っているので察していただいてるかもしれませぬが、某と義兄朝正は所謂異父兄弟でして
某の実父は志村なにがしと申す播磨国人でござるが某が生まれた直後に討死した様で……
代わりに義兄上が某を養育してくれたのです」

「そんな義兄との別れは辛いものでござった……
それに義兄上は平井山合戦において某も見ている前で討死しておりまして……
これが戦国の世かと世を恨みそうになったものでござった……」

 

糟屋「良かったこと……うーん。

やはり、黒田如水殿からご長男の師に請われたことでござろうか……?」
「結局は断られましたが、次代の俊英と相見えられた上にあの鬼才黒田如水にそこまで評してもらえていたと思うと我が身の誇りにござるな!」

 

武蔵「親しき者との別れというのは辛いものですな…… 。悲しみを乗り越えたからこそ、糟屋様の武勇があると信じたい次第です」

武蔵「そして才ある者には才ある者がやはり分かるのですな……」

 

武蔵「それではそろそろ名残惜しいですが終了のお時間です」
「最後にお言葉を頂いてもよろしいでしょうか!?」

 

糟屋「いやはや、対談なんて初めてでござったが楽しい時間を過ごせました」

「では最後に

マイナー武将にも割と壮大な物語があったりする事が多いです!え、知らねだけで終わるのではなく是非とも興味を持ってくだされ!そうすれば記録の少ない我々も少しは報われますからな!!!」
「某大河で某を裏切り者扱いした大名ですらない平野の方が有名なのは悔しいですが……

ありがとうござった!!!!」

 

武蔵「ありがとうございました!良き対談ができました〜!」
「インタビューは宮本武蔵
ゲストは糟屋武則様でした!」

 

 

いや〜7本槍は福島様と加藤様だけではないんだぞ!という感じでしたな〜

実はこの対談の前に武蔵は遅刻をしてしまいまして……。

寛大なる御心で許していただきましたが、時間をいただく立場がこれではいけぬな。うぅ……人の優しさに甘えてはいかんなと心に刻みました。

まぁ小次郎には謝らねぇけどな。

 

そんな糟屋武則様のTwitterアカウントはこちらです↓↓↓

 

@kasuya_takenori

 

 

それでは今日はここまで!

次回も対談にしようと考えておりまする〜

楽だから(๑>؂•̀๑)テヘペロ